院長ブログ

2016.01.04更新

私は日立総合病院に10年近く勤めておりました。はじめのうちは若手であるためまだまだ経験が少なく、同期後輩と一緒に勉強会をやったり、飲みに行ったりしていました。時は過ぎるのは早く1年、2年と上の年数になってくるとそういう機会が少なくなり、研修医が来てはまた元の大学に戻るのを見て寂しさを覚えるようになりました。そうこうしていくうちに卒後12年目になり転機を迎えることになりました。その頃になると赴任したたての時にひぃひぃ泣いていたような重症症例も対応できるようになり、それなりに自信もついてきたころ、あの天災がやってきました。東日本大震災です。

投稿者: ゆかわクリニック

2016.01.04更新

ぼんやり2年間で帰ってきてね、って医局に言われた気がします。先輩も確か2年間で医局に戻った気がします。自分はどうしよう・・・そう悩んでいた時に循環器部長からスタッフとして採用してもいいといわれ「おねがいします!!」と即答してしまいました。理由はその先生も初めに指導教官に負けず劣らず魅力的な先生だったからです。以降その先生とは私が開業するまでの間(約12年間)一緒に仕事させていただけ、今でも連絡を取ったりしています。私はいままで上司の大変恵まれていたということです。天祐。

投稿者: ゆかわクリニック

2016.01.04更新

茨城県日立市にある日立総合病院でしたが、ここは戦前からあった病院で地域の中核医療を担う由緒ある病院でした。その病院に勤めて一番びっくりしたことは医局が分局していない!!ということでした。それまで大学病院にいたころは医局というのは各科ごとに分かれてあまりほかの科の医局にはいったことなかったのにこの病院では分局されていない!! びっくりしました。その後知ったのですが大学病院以外では大体同じようなものだったみたいです。分局していないためいろんなかの先生が同じ場所で休んだり時には雑談をしながら知識の交換ができたのですごい勉強になり、励みにもなりました。学閥があまりなかったのでいろんな大学の出身者との交流もあり、啓蒙されました。 日立市には病院が少なく、重症患者だとすぐに搬送されましたので毎日ひぃひぃ言いながらも充実した日々を過ごしていました。すでに循環器を専門と決めていましたが、正直その時にどこに収まろうか迷っていました。大学に戻るべきか・・・・

投稿者: ゆかわクリニック

2016.01.04更新

私は2つありました。というよりは一般的に2,3つだと思います。私が研修医だったころと今では少し違いますが、あまりシステムは変わりはないと思います。まず一つ目は研修が終了した後の専門を決める時。私の時は2年間の研修後に通常は出身大学、あるいは関連病院の医局に入局するわけですが、そこで内科、外科、小児科、耳鼻科、皮膚科、眼科、整形外科・・・等の自分の進むべき道を決めるわけです。現在の研修医制度では前期、後期研修の合計4年の後に専門科を決めるので年数が違えどシステムは変わらないですね。私はたまたま指導教官が循環器医であり、非常に魅力的な先生(人格的にも、学術的にも)だったこともあり研修医になって1か月で循環器に決めました!今ではその先生は教授になって雲の上の人になってます。さて専門科が決まったところで次に場所です。私が研修医だったころは医局制度がまだ強かった頃だったのでふつうは出身大学の医局に収まっていました。進路に関しては指導教官にも相談しましたが「お前みたいに、甘ったれた野郎は外でもまれたほうがいい!」といわれ当時関連病院ではなかったが先輩が研修していた日立総合病院に口をきいていただき研修を受け入れていただきました。実は同期の内科医局入局者の中で外に出たのは私だけでした。ほかの同期は大学院に入学し院生として、研究と臨床を両立していましたが、元来不器用なたちでありましたので臨床を薦めていただいた指導教官の先見の明があったわけです。いまでは大感謝しております。

投稿者: ゆかわクリニック

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