現代を考える。
熊本大地震。たくさんの死者を出し、今現在も帰宅できない避難者が多数いらっしゃいます。僕も東日本大震災の震源近くではいたらいていたので被災者の方々の不安、苦痛が痛いほどよくわかります。いち早い復興、帰宅ができることを願っております。この五年で2回震災に見舞われた日本ですが、僕は被災する以前から、ある感情にとらわれていました。それは日本人の美徳がなくなっているんじゃないかと言うことです。様々なメディアが有り、24時間アクセスでき、ネットで買い物すれば即日家に届き、夜中に何か必要なものがあればコンビニに駆け込み、お金だって引き出せる。こんなに満たされた時代に生きている我々は心が満たされているのでしょうか?僕自身はむしろ心は貧しくなったと思っております。前ウルグアイ大統領であるホセ・ムヒカ大統領がこう演説しておりました。「貧乏な人は少ししかもっていない人ではなく、無限の欲が有り、いくらあっても満足しない人である」またこうも言っております。「発展は幸福を阻害するものであってはならない。発展は人類に幸福をもたらすものでなければならない」 まさにそう思います。現代人は満たされすぎています。しかし周囲で常に資本主義経済を元に欲をかきたれられる情報が四六時中我々の耳に入力するため、限りない欲を強制的に持たされ、無意識に周りと比較し、自分は不幸だと錯覚していると考えます。昔の日本は確かに現在より貧しかったですが、みんながむしゃらに働き、少しでも幸せになりたいと思い、生きてきました。別に懐古主義ではありませんが、現代の日本はバランスが崩れかけていると思います。確かにいろいろな機械ができ昔なら手作業でやらないといけないことが全自動でできるため、時間ができました。しかしその時間を我々は何に費やしているでしょうか?SNSが発達した現代では人の顔は見えないため、心に配慮しない書き込みで人を傷つけ、自分の満たされない心を誰かの中傷で代償してしまう世の中になっています。白ゆき姫殺人事件を見てそう思いました。また情報を手軽に手に入れられる社会になったため知識が豊富になったけれども我々は忘れています。情報から得られた権利は義務が付加し、それを果たして初めて正当化できるってことを。それなのに権利意識のみ振りかざし、一方的に攻める社会ができあがってしまったため、世知辛い世の中になっておりと思います。医学に関しては発展は良いことであるとは思います。しかし寿命は延びることによると医療費用の増加、また寝たきり介護者が増え、介護疲れで自殺、殺人を起こすこの世の中は果たして昔に比べて、幸せなのでしょうか?これらはすべて戦後の西欧資本主義が原因とは思いませんが、そろそろ我々は満たされており、日本人の美徳である配慮と謙虚さを思い出す時期に来ていると思います。自分は被災した時、今回の熊本大地震で被災した方々を見てそろそろ気がついてもいい頃なのではないかと思います。世の中のすべてに「右へならえ!」をせず、自分の良識の心で感じていきたいと思います。またこれも言いたい。若者は世の中の流れに悲観するな!言いたいことがあれば自分で動き、政治に関心を持て!若者が政治に関心を持てば政治家だって若者に目を向け、考えてくれる!そう思う今日この頃でした。

ゆかわクリニック